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7年の時を経て・・・
7年の時を経て、2009年11月15日、私は再び石川県能都町にいた。

ここは7年前、私のNON STOP PARTYという教師バンドと当時の今村組が当地によんでいただいてLIVEを行った町である。

当時の今村組結成3年目。
「華炎」で札幌に向かう直前の5月だった。

町のあちこちにかかげてある手作りののぼり。

それも道ばたに永遠に続くかと思えるほどの本数。

会場の体育館に入りきれないほどの人たち。

晩ご飯が終わって現地の人と一緒に歩いて帰った時の月の美しさ。

人々のあったかさ・・・・・

全てが私にとって忘れられない思い出だった。

その直後から続いた関西京都今村組壊滅の危機とも言える大量退団。

心ない人たちからのバッシング。

何度も何度もくじけそうになりながら、それでも走り続けたこの7年間。

その7年間を経て、私は再び能都町にやってきた。



講演の控え室に次々にやってきてくる7年前の人々。

私たちを能都町によんでくれた今井先生。

「まだ町議やってるでぇ!」と笑顔で駆け込んできてくれた鍛冶谷さん。

そして会場で待ってくれていたいっぱいの笑顔・・・・



講演の演題に立って、初めて泣いた。

長い間言葉が出なかった。

これまで数えられない数の講演をやってきた。

でもそんな事は初めてだった。


7年を経てもかわらず待ってくれている人たち、笑顔。

自分の限界ギリギリで走り続けて来た7年間。

そんな中での変わらぬ笑顔と友情とあたたかさ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・



講演終了後、今井先生や鍛冶谷さん、PTA会長さんらと昼食を囲んだ。

私は何回も何回も深いため息をついた。

「帰ってきた・・・」そんな安堵感にも似た気持ちだった。





そしてそこにやってきてくれたのが「あんず」のお母さんだった。


「あんず」・・・・・・・・・・・・・・

7年前、中学生だったあんず。

生き方に迷い苦しみ、学校にもなかなか行けなかったあの子。。。

出発の見送りの時、笑顔でよってくる中学生達の輪の向こうでさみしそうにぽつんとたたずんでいたあの子。


私は彼女にこういったのだった。

「逃げてもいいよ。逃げてもいいから負けたらあかんで。」と。

そして指にはめていた指輪を彼女に渡してあげた。

(自書「夢の見つけ方教えたる」祥伝社出版)


そのあんずが京都の大学に行っているという。

私はお母さんに「偶然でも嬉しいです」と告げるとお母さんは「偶然ではないです。」ときっぱり話してくれた。

今、あんずはデザインの勉強をしているらしい。ダンサーの衣装デザイン、そしてステージの裏方の勉強も・・・・


「すべて7年前のあの時の先生と今村組との出会いからでしょう」とお母さんは付け加えた。

彼女の21年間の人生で彼女とすれ違ったのはほんの5,6分。

11.000.000分の中の5分・・・・






きのう、あんずに電話をかけた。

「誰か分かる?」

「分からない。」

「ヒント!7年前。能都町。ダンス!」

「・・・・・・・」

「京都。指輪!」

「えええええ!先生??」

その後あんずは長い間言葉を詰まらせていた。


すっかり明るく元気になったあんず。

近いうちにぜったい飲もうぜ!!そう誓い合った。





人が人であること。

人が人と出会うこと。

人が生きるということ。

そして共の生きるということ。



今年8月、再び私と関西京都今村組は石川県能都町に行く。


7年の歳月を経て、あの時の感動のお礼のLIVEを行いに行く。


あの時のメンバーはもうほとんど残っていないけれど、あの時の今村組の思いは今も、今の今村組に脈々と流れ続けている。


8月。必ず。

あの地に置き忘れてきた何かを取り戻しに、私は子ども達を能都町に連れて行く。




あやんブログにもこの日の事が書かれています。

綾のブログ
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by e-than-kki | 2009-11-18 10:09 | 生き方