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迷い・・・
関西京都今村組。。。

人は「炎のダンス」と言い「魂の踊り」「踊る心の伝道師」とも言う。

この形容詞があたっているかどうか分からないが、そう言われる理由は大きくは2つある。

1つは踊るための、いや踊る以前の「人」としての生き方の追求にある。それは時としてストイックさを極める。
「おまえ、それ『人』としてどうなんや!やんちゃでもええ、ヤンキーでもええ。おまえの生き方は『人』として恥ずかしくないんか!」

「前で踊る奴は後ろにいる奴の想いの全てを引き受けて踊るんや。それでできひん奴は前で踊るな!」

「死ぬ気で練習して来い!一晩くらい寝えへんでも死なへん。今まで生きて来てそれほどまでに泥にまみれたことないやろ!やってこい!」

「横で泣いとる奴をほっといて何が踊りや!ツレを思うんなら親とけんかしてでも行ってやらなあかん時もあるん違うんか!」

こんな風に人としての生き方を激しく追求される。それが今村組。


そして2つめはの人としての生き方を裏打ちする激しい練習。

それは体力的にも精神的にも限界まで自分を追い込む。
自分の限界まで自分を追い込むことによってのみ、新しい自分には出会えない、そう信じている。

「もう無理です・・・」
「もう無理?無理と思ってからが踊りの勝負や!」

そんな激しい練習を積み重ねて今村組は札幌へとたどり着く。
だから今村組の練習は苛烈を極める。
時として見学している保護者が見ていられなくて練習場を出て行くことも多々ある。



しかし今年・・・
その今村組札幌遠征特有の苛烈な練習はほとんどやっていない、と言うか皆無だ。

一昨日龍太が言った。
「先生、このまま札幌行っても意味がない。あんなん今村組の踊りやないで。先生は『先生』としてよりも『経営者』としてメンバーを辞めささんようにしてるんか?」と。

私は答えた。
「『経営者』としてどうこうなんて事は全く考えてへん。ただ、今年の今村組の練習は2,3念前と比べて『屁』みたいなもんや。10年前と比べたら、そらもう比べもんにならんくらいやわい。『人としてどうやねん!』と激しく詰め寄ることも語ることもほとんどない。それでも『逃げる子』がいっぱい出る。10年前と同じようにやってみ。いや2,3年前とおんなじようにやってみ。それこそ今頃半分くらいの人数になってるやろ。もうしんどいねん、『飛ぶ』奴を見るのも、その後の処理もな・・・」と。

龍太はまた言った。
「それで札幌勝てると思うか?」

私は答えた。
「勝てるやろ。札幌はむしろうち(今村組)のあつくるしさが消えたほうが好みなんと違うか。勝てる時は勝てるやろ。」

龍太・・・
「お父はそれでいいんか?」

私・・・
「いや、負けても今村組の踊りをする方がいいに決まってる。」

龍太・・・
「じゃあ?」

私・・・
「答えがみつからんのや・・。」

そばにいた綾が言った。
「今村先生がいる限り今村先生のやり方でやったらええと思う。それで『飛ぶ』奴が増えてもそれでいいんとちがうか?少なくても先生を慕うニューリーダー達はそれを望んでるんとちがうかな」


私は最後にこう答えた。
「確信が持てへんねん。」と。

迷いを持ちながらまた今日もこれから練習だ。
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by e-than-kki | 2011-05-08 07:55 | 今村組