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2011年総括②
今年の自分を振り返った時、どうしてもはずせないのはやはり3.11の東北大震災だろう。

私は今年のほとんどをその「東北」をテーマに取り組んできた。

4月から毎月合計12回の東北入り。

そして6月の東北縦断キャラバンを皮切りに8月の登米市での祭り遠征、10月の仙台みちのくYOSAKOI祭りの参加、そして最後は12月24日の東北復興祈願祭の開催と参加。

その活動のおかげで多くの人に出会うことが出来た。

登米の舞姿道みろくの織田君、菅原さん、元さん、そしてみろくのメンバー達。
南三陸の海童いしゃりの山清一郎こと山内さん、純子ねえ。
東北一の旗士(少なくても私はそう思っている)しんさん。
そして東北の旗の漢(おとこ)達。
そしてそして東北で出会った多くの人たち。。。

東北の活動に力を貸してくれるべく立ち上がってくれた京都市長はじめ南三陸町長、気仙沼市長、登米市長。

そしてそして物心両面で最大の支援をもたらせてくれた京都五健堂蓮尾社長はじめ多くの京都の経営者達。


私にとってそれら全ての人との出会いはまさに神に感謝すべく事のそうに思える。


しかし12月24日のX'mas復興祭。
野外での感動のグランドフィナーレをステージ上から眺めていて考えていた。

「私の本当にやりたかった事はこういう事なんだろうか。」

「私がやっていることは本当に意味のあることなんだろうか、本当はもっともっと違うことをしなければ成らないのではないだろうか。」

「自分の自己満足ではないのだろうか。」

「得る物は大きかった、それはすごく大きく間違いのないことだ。でも失った物もまた大きかったのではないだろうか。」

私はふとそんな事を考えていた。



ただひたすら『東北』をテーマに走り続けて来た1年。
人は「自分の名誉のために」と言う。
「復興支援って言っても金儲けやろ」と言う。
言いたい奴には言わせればいい、そんな奴に分かってもらおうとは思わない。

私は本当に「東北」で何をなすべきなのだろうか
いや何をしたいのだろうか。

1年間走り続けてきたからこそ、私は今、そう思う。


6月6日。
初めて宮城県登米市中田アリーナでで踊りを披露した。
私は踊り出す前に避難所や仮設住宅から集まってくれた1500人を前にこう言った。

東北の方達は本当に自分たちの身を切って日本全国に『日本よ、このままじゃあかんのと違うか』という日本教育史上最大の教育機会を作ってくれた。
だからこそ私は一人でも多くの子どもや若者をここ(東北)に連れてきたい。
一人でも多くの子を連れてきて自分というものを見つけさせたい。
それは自らが身を削ってその機会を創ってくれた東北の方達への恩返しなのです。
そして東北の真の復興もまた東北の子ども達によってのみなされると思う。
東北は日本教育史上最高の教育機会なのです。私はそう思って東北に取り組みたい。
もし私の今の言葉に憤りや怒りを思われるなら私は今日を最後に東北には足を踏み入れません。
私は今日その覚悟でここにやってきました。


一瞬の静寂の後、集まってくれた人たちは心からの拍手をしてくれた。
東北が私を、私の志を迎え入れてくれた一瞬だった。

12月24日。
この言葉どおりのイベントだったのだろうか。
私には分からない。


しかし2012年。
私はやはり「東北」をテーマに走り続ける。
それは自分探しの旅なのかもしれない。

今、かすかに見えている道がある。
6月6日に言ったこの言葉。
私がやりたかった本当の道が今、少し見えている気がする。
それは今年以上にもっと困難で、もっと失う物も多い苦難の道であることは重々分かっている。

しかし私は2012年、その道を選ぶことになるだろうと、今思っている。


がんばろう東北!何があっても我らは東北と共に!     


2012年。
この言葉の真の意味を考え続ける年になるだろう。


2011年12月30日 
関西京都今村組総代表 
非営利型一般社団法人日本共育プロジェクト代表理事
今村克彦 拝
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by e-than-kki | 2011-12-30 10:25 | 生き方