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『教師』から『共育者』へ
わたくし、今村克彦は2006年3月31日をもって、24年間つとめあげた京都府小学校教諭を退職致します。




わたくし、今村克彦は2006年3月31日をもって、24年間つとめあげた京都府小学校教諭を退職致します。


本当に長きにわたり、私を支え続けてくださった多くの方々に、心から感謝致します。
本当にありがとうございました。




 さて、ここに至る私の心情の全てをこのブログに書ききれるものではありませんが、この決断は少なくてもここ何日間や数ヶ月間で決断したものではなく、振り返れば2年前から考えていたものです。



 当時の今村組はマスコミへの露出が始まり、全国の多くの方にご支持頂き、楽しくて自分が自分で居られる場所。。。。として存在していた今村組から、ある意味プロのクォリティーやプロ的な業務を余儀なくされ、当時、組の代表であった大学生達と懸命に走り続けていました。
 私はその当時からたえず「あと1年、少なくてもあと2年待ってくれ」と、当時の幹部達に言い続けていました。

 しかし、当時の幹部達は一種「踊る」楽しみとは別な「踊る楽しみ」を生み出すための影の仕事に疲れ果て、一人、又一人と組を去っていきました。
 
 時には前日の深夜まで笑顔で一緒に酒を飲んでいて、翌朝、携帯の電源を切って出奔するというショッキングな事も多発したのがこの時期でした。
 
 今だから語れる事も多々あります。
 
 人はあんなに良い子達が辞めるんだから、残った側に、すなわち私や翔吾達になにか原因があるとよく言われました。
 それはそうでしょう、私も走り続けていました、いや、走り続けていたと言うよりそうせざるを得なかった、それが真実です。
 その当時は自分の意志とは違う、なにか大きな流れに飲み込まれながら走らされ続けていた。。。それが一番当たっているかもしれません。
 

 その当時の幹部連と私の関係は、教え子と大好きな先生の関係から、一種、企業的な上司と部下と言う関係を今までの関係にプラスするしかなかったのです。
 
 これが、人にとってどれほど難しい事かは、多分、誰も分からないと思います。
 
 加えて、そしてその当時、幹部連以外のメンバーの問題も多発し、私はその対応に奔走し幹部連のこなす事務仕事の指導監督が手薄になっていました。

 いきおい、幹部連のやる事務仕事にミスが連発する。

 単純なミスから80万円の欠損が出る、イベントのバス発注が単純なミスから忘れ去られ、イベント当日、私がバス会社に土下座して頼みに行った事もありました。

 頼んでいた仕事が問題なく出来ていると言いながら、全く出来ていず、それが発覚する前日に出奔した古株幹部もいました。結果、60万円の欠損が出ました。

 人には言えない事がいっぱいあった時代でした。

 そんな中、一部の親たちも『今まで今村組を支えてきたのに、自分たちが利用されただけだった』と考え秘密裏に集まり、今村組転覆を企てたと言う事もありました。

 何があっても切らない、そう思い支え続けてきたメンバーを断腸の思いで切らなければならない事件もありました。

 結果、その大きな渦に巻き込まれ今村組未曾有の危機、30人以上の退団事件。

 残された幹部は翔吾、龍太を含め、わずか5人。。。。。。。

 その事が、更に私の体を酷使する時代へと入っていきました。

 しかし、それもこれも今村組が1アマチュアチームから一種プロチームへと変貌せざるを得ない中でおこってきた問題、早く私が影の仕事を一手に引き受けられたら。。。。。。。。。

 そう思い、もっと走り続けた2年間。 


 本当に苦しかった二年間でした。


 昨年1年間で完全オフの日は7日間しかなかった。


 早く、早く、早く、今村組が自立できるように、そう思い昼間は教師、夕方から深夜は事務所代表、土日は今村組と共に全国へ、そして今村組が休みの日も教育講演で全国へ。




 しかし、今、24年間の教師生活にピリオドを打つ決断をしたのは、前述のような理由ではなくなってきたのも又事実です。


 教育講演で地方に出かける。。。。。。

 参加してくれたお母さんは涙を流して「明日から又頑張ります」と言って帰ってくれる。
 しかし、1週間もすれば、現実の壁に跳ね返され、力を失っていく。。。。。。。


 いつしか、私はマスターぺーションをしている錯覚に陥っていました。


 「もう一回がんばる!」その気持ちが行動を生む、しかし、そこには仲間が必要である、そして核となる人間が必要です。
「お母さん、今日の講演をきっかけにみんなで集まりや。又俺助けに来たげるし・・・」
のどまで出るこの言葉を何度飲み込んだ事か。。。。。。。

忙しすぎる俺にはそんなな時間はもう1分も残されていなかったのです。。。。。。。


 学校で問題が起こる。。。。何とか解決する。しかし、夕方その子どもの家に行って少しの時間でも一緒に過ごしてあげたら。。。。。。

 しかし、事務所には東京からお客さんが来ている。。。


 目をつぶって断腸の思いで事務所に戻った日々がいったい何日あったでしょうか。

 そしてそんな私の背中に浴びせられる心ない同僚教師の言葉。。。。


 そんな時、私は、そんな他の教師と比べると「俺はけっこうやっている」そう自分に言い聞かせながら、自分の100%の力をクラスの子ども達に注いでいない事も又確実に分かっていました。

 そんな思いが又、それ以上に私を苛なめていきました。


 


 そんな中、昨年暮れ、九州立花高校の教頭、実質上現場のトップである斎藤教頭が今村組事務所を訪ねてこられました。

 「私の学校を助けて欲しい」と。

 

 2005年11月3日、私は九州立花高校のキャンパスにいました。


 彼の愛する立花高校の子ども達を見るために。。。。。

 小学校、中学校で不登校を起こした子ばかりを引き取るこの学校、そこに存在する高校生達は、明らかに今まで見てきた子ども達と異質だった、いや違う。
この子達はどこかで見た事がある。


 そう10年前に見た子ども達そのものがそこに存在していました。

 社会からはじき出され、下に見られ、虐げられた者だけが持つ怨嗟とそれに反して彼らの目の奥に潜む輝き・・・・・・・・・・

 関西京都今村組創設期の子ども達の目、そのものがそこに存在していました。

 「俺を必要とする若者がここにもいる」・・・・・・・・



 先月、栃木県小山市に行った。

 「蔵っこ」のメンバーはじめ70人あまりのよさこい人が私を迎えてくれた。

 「歓祭」が舞われた。群馬支部長松村が涙を流す私のそばにそっと寄ってきて「先生、木を見ないでください。先生が育てた森は今やこんなに大きくなっています」と。

 ここにも私を必要とする人たちがいてくれている。



 昨年から今年にかけて舞い込む行政からの依頼。

 うちの市を元気にしてほしい、若者とお年寄りを繋いでほしい、と。

 うちの市を助けてください、と。

 ここにも私を必要とする人たちがいる。



 そして私のパソコンに舞い込む多くのメール。

 「今は無理だけど、中学卒業したらそっち(京都)に行きます。今村組に入ります。先生のそばに行きたいです」

 

 今村組に新しく入った小学校5年生がいる。

 お父さんと二人暮らし、お母さんはいない。

 彼は別のチームの子だった。

 昨年、彼のチーム指導に行った。
 
 人をにらみつけるようなまさに狐が憑いたような彼の踊り。

 心に傷を持ち、『聞こえの教室』に通っているというこの子。

 回りの大人達は彼をかわいがって、笑顔で支えていた。

 私は踊り終わったこの子に「学校楽しいか?友達いるか?そんな踊りじゃあ友達作れへんな。」そう言った。

 涙を流しながら、再び踊った彼のそばで「心でおどれ!楽しい事思い出せ!」と叫び続けた。

 数か月後、彼とイベントを共にした。

 私が来るのを彼は炎天下の中ずっと駐車場で待っていた。

 私があげた数珠のブレスレットをずっとはめたまま。。。。。。。


 そして先月、彼は私の元にやってきた。

 お父さんが言った、「彼が今村組の踊りについて行けないのはよくよく分かってます。でも先生のそばにおいてやってください。彼は先生のそばにいたいんです」と。

 本家今村組にもまだまだ私を必要としてる子がいる、そしてこれからもそんな子がやってくる。






 2006年4月1日、私は「共育者」で生きるため教師をすてる。


 九州立花高校の子ども達を助けに月に何回か泊付きで福岡博多へ向かう。


 年俸、経費含めて60万。『今の現状でこれ以上びた一文でない』と斎藤教頭は男泣きに泣く。


 天下の豪傑、戦国の漢、前田慶次が男に惚れ、上杉家東北転封時にわずかな捨て扶持で
共に向かう、に似てる気がした。
 

 所詮、銭、金ではない。

 
 私の回りには漢がいる。
  

 乾坤一擲会。。。。。


 もし俺に万が一の事あれば、翔吾は鎌田を頼れと言ってある。

 龍太は小泉を頼れと言ってある。

 だから私は進める。
 


 

 もうすぐ私の個人HPが立ち上がる。


 HP名は『P・T・A・ing』だ。

Producer Teacher Artist』ing
共育者・今村の現在進行形

だ。

人と人をつなぐ「プロデューサー」として

共に育ち合う「共育者」として

今村組、そして今村自身を表現する「アーティスト」として

2006年4月より、

私、今村は、

私を必要とする全ての人たちのために

終わりのない戦いに向けて

今、

出発します。

      2006年3月20日午前0時5分
      関西京都今村組
      共育者 今村克彦
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by e-than-kki | 2006-03-20 00:06 | 生き方