昨日、義家先生とテレビで一緒した。
彼の講演を聴いた時から思っていた。
「教師として世に出るのが早すぎる。もっとちゃんとした大人が彼の回りにいてやったら・・・」と。
昨日、彼とあったが、やはりその通りだった。
「ぼくは今も現場に出てますよ。大学でも教えてるんです」と言い切る彼に正直、大学の講師を『現場』と言い切る彼に哀しかった。
ただ作られた自分を演じようと必死になっている彼を見て哀しかった。
オンエアーはされなかったけど、「ぼくも鉄パイプ持ってあばれてましたから・・・」と自慢げに語る彼を見て哀しかった。
そしてそう言う彼の講演に感動する世のお母さん方が哀しかった。
オンエアーの合間に俺が彼に言った。
「本当は君と俺の様な人間が手を結んで進むべき何だけどね」と。
彼は「いいえ。ぼくは現場にもどりますから」と私の提案を拒否した。
彼にもっとちゅんとした大人がついていてやれば・・・・そう思った。
俺には時田がいる、鎌田がいる、いっぱいの大人がいる。
俺が中古の安いベンツに乗ろうとした時、時田は、鎌田は「くさってもベンツ。ぜったいだめだ」と認めなかった。
俺が大きくなろうと思った。
えらそうと言われようと、何と言われようと、そうしなければだめだと思った。
俺にしか語れない教育の現場があると思った。
今から関西テレビ「ぶったま」の出演の為に大阪に向かう。
「行ってきます!」