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世の中がおかしい方向に進んでいる。
昨日は久しぶりに事務所に出ました。

でもなかなか体調が戻らなくて夕方早い時間に終わりました。

今日、明日と又休養とります。

日曜日は京都の商業施設カナート洛北でイベントです。

これには顔出さんとあかんからあと二日間ゆっくりします。

天気よければいいんですが・・・

みんなも時間あったら来てね!

時間は①14:00~ ②16:00~です。



教育や政治の世界はなんだかどんどん変な方向に向いているような気がします。

新学習指導要領では徳育の教科化はどうにか見送られたが道徳重視の考え方は強化されている。

又、道徳は特設時間だけでなく道徳以外の教科も一体となって道徳性を養うよう強調された。

加えて、各校に「道徳教育推進教師」を新たに任命するほか、小学5、6年の国語の教科書に「伝記」を盛り込んだり、理科で環境保全や生命尊重、技術・家庭では安全で健康的な生活などについて指導するよう求められている。

道徳性の欠如が叫ばれて久しいし、人としての道徳性の高揚は絶対に必要である。

しかし、道徳とはなんなのか、何が人として正しい事か、と言う事を真理を探究することなく道徳を叫ぶのはかなり危険なことである。

教科はあくまで教科である。それぞれの学問性の中にある真理を科学的に学ぶ事を基礎に置かない限り、その学問のそこにある定理は学べない。

例えば現場的にいうと小学校国語で「伝記」ほど文学性を教えられないものはない。
「伝記」は文学ではないからだ。
ただ、「伝記」をはめ込もうとすると「文学」に時間が削られる。

子ども達にとって文学作品にふれること、感じる事はどれほど大事な事か。

過去すばらしい文学作品が教科書にあった。

「ごんぎつね」・・・
「お母さんの木」・・・
「ベロだしちょんま」・・・・
「わらぐつの中の神様」・・・
そして小学校文学作品の中の最高峰ともいうべき「川とノリオ」・・・

今、その全て(教科書によっては一部残っているが・・・)が教科書からはずされた。

これらの作品に接した子ども達が涙を流しながら学習していたのにである。

国語では道徳観を高める基礎としての情緒を養う。
それが国語の、文学の他に類する事のない優位性である。

それを排除して、ストレートに道徳性である。

「伝記」を読ませて、「この人はすばらしいと思います」と歯のうくような作文を書かせて、「よし」とする教育を進めようというのだ。

所詮、教育に素人のアホンダラの考える事だ。



教育界がそうなら政治もそうだ。

大阪府知事になった橋下徹。

先日来の発言に彼の本質がはっきりと見えてきた。

彼は大阪府議会一般質問にたった共産党質問者に対して以下の様に答弁した。

~(前略)共産党が主張を通そうとするのなら、多数派になってから意見するべきだ。(後略)~

これが彼の本質であろう。彼は自民などの多数派を味方につけ知事になった。議会であるから多数派の意見に左右されるのはある意味仕方のない事ではあるが、多数派の最大の責任は少数派の意見に最大限、耳をかたむけることである。
彼の発言は一種のファシズムである。
それを「はっきり物を言う」「若い」「何かやってくれそう」とイメージだけで支持する今の世論はかなり危険だと思うがどうなのだろうか。


又、昨日彼は、30歳以下の若手職員を対象にした朝礼を終業前に行おうとした。
それも時間外手当なしにである。
その事を止められた彼は「そんなちょっとの時間にも時間外手当をつけろというなら、時間内のたばこ休憩、私語など全てやめるべきだ」との発言をした。

まさに労働基準法を無視した許されざるべき発言である。

じゃあ、聞きますが知事は就業時間内は一言も私語は発せられないんでしょうね。

奥さんから「息子が熱出した」という電話がかかってきても出ないんでしょうね、と言いたい。


世の中は狂ってきている。

大人は腐ってきている。


そんな狂った世の中にいる、腐った大人が言うんです。

「今の若者達はだめだ」と。

今の若者がだめだというなら、それは今のだめな社会に対する若者達の心からの警告ではないのでしょうか・・・・

by e-than-kki | 2008-03-14 09:40 | 教育