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カテゴリ:生き方( 90 )
多くのメッセージありがとう!
きのう6月23日はわたし今村の58歳の誕生日でした。
いっぱいのメッセージを携帯やパソコン、FBに頂きました。
本当ならそれ全てに一つ一つメッセージを返すべきなんですが・・・・
あまりにも件数が多くて・・・・
ここでまとめてお礼を言います。
「本当にみなさんありがとうございます!」

ですが58歳・・・・・・・やばい。
あと一回りすれば70歳。
今回の誕生日で初めてあとの人生で何をなすべきかを真剣に考えてしまいました。
あと12年で70歳、この12年、いや10年で私は何をなすべきなのだろうか、何をなせるのだろうか。。。

今やりたいことを書くと・・・

1,やっぱりこれぞ今村!って思える本を書きたい!
人が自分の傍らに置いてくれて、生き方に悩んだ時にひもとく・・・そんな本を書きたいですね。

2,淡路島西岸に別荘を建てたい!
これは以前淡路島に仕事でよく行っていたときに見た瀬戸内海の夕日に心を奪われて、それからずっと夢です。
別荘地じゃなく段々畑の真ん中で古家を買い取って・・・そんな夢です。

3,四国八十八カ所参りをしたい!
生きてきた人生、残りの人生をしっかり見つめたいです。
自分はどこから来て、どこに行くのかってね。

4,う~ん、後はライザップに行きたい(笑)

まあたいしたことない夢ですね。


あっそうそう色んなメッセージをいただいた中にこんなメッセージがありました。
今村組のメンバーなんですが、世の中でいう本当に普通の中学生の女の子です。

先生、58回目のお誕生日おめでとうございます(^^;

いつも、ありがとうございます。

個人的な話なのですが、私は、春祷で初めて札幌に行きました。

その時は、札幌に参加することで自分が変われるとか、自分の考え方が変わるとか、思ってませんでした。
でも、春祷に行ってから1年たった、韓国遠征のとき、私は、今が、今こそが何か変われるチャンスなのかもしれない、と思いました。

韓国に行って、私が何か変われたかどうかはわからないですが、
今回の、最後の札幌遠征に「絶対参加したい。理由は色々あるけれど、今行かな絶対後悔する。」と思いました。
それで参加しようと決めました。

練習ではいろんなことがあって、考えさせられることも多くありました。
合宿の時に、白隊の隊決めのテストがあって、その時に私は一番前の所に行けました。

でも、私には何で私が選ばれたのかわかりませんでした。
意味があるのかな?何でだろう?とか思いましたが、やっぱりわかりませんでした。


その他にも色々な出来事があり、その度に悩んだりしましたが、すごく想い出に残る札幌遠征になりました。



それから、先生が前に私に、「お前は賢いからわかるやろ。」といってくれました。あのとき私は、「先生は私のことを見てくれていたんだ。今からが、私のスタートなのかな。」と思いました。


先生、私はあのときから、変われてますか?成長できてますか。

私は、私が踊ることで誰かが救われるとかは思いません。ただ、私が踊って私が何か変われば、他の誰かも変わっていく、そう信じています。



私は、今村組のメンバーになれてよかったと、何かある度に思います。
私は、今村組が、今村先生が、だいすきです。


PS:これからも、体調に気をつけて、お仕事をこなしてください。あらためまして、本当におめでとうございます(^-^;

長文になってしまいすみません。




このメッセージ一つとっても今村組の「強さ」が分かってもらえるかなって思って載せました。

やっぱり一番の夢は今村組1000人!1000人のカムイかな!

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2015年札幌YOSAKOIソーランで・・・・しかしガラ悪いなあ。。。
(エンタのズブ様より借用。)
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by e-than-kki | 2015-06-24 06:14 | 生き方
東京オリンピック
2020年に東京でオリンピック、パラリンピックが開かれることが決定した。

たしかにおめでたいことだがあと7年、日本はどうなっていくのだろうか。




未だ荒廃とした東北の各地。

解決の糸口さえ見えない福島原発問題。


政府は、国はこの問題に真っ正面から挑んで、少なくても7年後には胸を張って解決した、乗り越えたと言える状態にしていくのだろうか。

それともくさい物にふたをする努力を7年かけて積み上げていくのであろうか。

私は悲しいかな後者の方を予想してしまう。




昨日、南三陸陸仙海から二人のメンバーが京都にやってきた。

あおいとなおの姉妹。

今日の今村組スキルテストに参加するためはるばる南三陸からやってきた。

2020年後二人は22歳と20歳になる。

この笑顔を絶やさないためにも。。。

これからの真のオリンピック活動を期待する。

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by e-than-kki | 2013-09-08 06:02 | 生き方
2013夏・回顧録
2013年夏が終わった。
この夏は本当に殺人的に忙しい夏だった。
8月の休日はわずかに1日。
本当に56歳の私がよくぞ無事に乗り越えた!と自分で自分を褒めてやりたい気持ちである。
特にお盆過ぎからの後半は群馬→千葉→事務所に戻って直ぐに合宿→合宿終わりを待たずに→栃木→茨城→福井小浜→北海道室蘭→札幌→山口→広島→滋賀のあっぱれ浅井祭り・・・・・

本当に我ながらよくやった!と思う。

メンバーもその分忙しかっただろうし、よくやってくれた。
中でも綾ねえからマネージャーを引き継いでくれた麻咲は若いとはいえ、本当によく私を支えてくれた。

しかしこの夏を回顧するときその忙しさよりもっと深く心に刺さっているのはメンバー問題の多発だろう。
それも各地方のリーダーと呼ばれる連中や古くからいるメンバーの問題が非常に多かった。


「5年も6年もいるんだからもうろそろそろ分かれよ!」
「何回おんなじ事やっとるん?」
「ホンマにおまえは馬鹿か。いったい幾つや?そんな事普通するか?」

などなど一時は本当に子どもなんて信じられへん、あかん奴はあかん、あほはあほや!とまで思った時期もあった。

8月後半には本当にその心労でまるで「鬱病」のような状態にまで陥った。


そんな時ある元メンバーの女の子から電話がかかってきた。
女の子と言っても年は27.8歳になっているだろう。
本当に今村組在籍中は「こいつ馬鹿か。」と思ったほどの子だった。
辞める時もそんなにきれいな辞め方をしたわけでもないこの子が病院から電話をくれた。

「先生、今日、子ども産みました。先生にはどうしても知らせたくて・・・退院したら必ず先生に見せに行くから!」
「それともう一つ・・・・・・・・名前・・・・・・カムイにしました・・・・・いい?」

カムイとは・・・・・・・今村組創生期、今村組大躍進とともにあった曲の名前・・第1回目の札幌参加曲だ。

私は涙がとまらなかった。


その夜綾ねえに電話をした。
「今はメンバーの中にこんな奴おらんわ。やっぱ昔の奴は今の奴と違うんや。」という私のぼやきに一言返してきた。

「そうかあ。その子だって在籍中はホンマ色々やった子やん。先生の気持ちなんか伝わってなかったような子やん。今の子とかわらんような気がするけどな・・・」と。


私は「そうかなあ。。。やっぱ違う気がする」と心でつぶやいていた。



8月30日。。。滋賀県あっぱれ浅井祭り。

一人の若者が翔吾と龍太に付き添われて私の元にやってきた。
私の背中越しに「先生・・・」と声をかけてくれたその子は5年ほど前に今村組を辞めた子であった。
詳しくは書かないが、あの時の辞め方は本当にひどかった。
私は正直長い間どうしても許せない子だった。

27歳になったその子は「先生・・・あの時・・・・本当にすみませんでした・・・・今思うと・・・」と真っ青な顔をしてそう言った。
付き添っている翔吾と龍太は「こいつ前から先生に謝りたいって言うとってんけど恐くて恐くて近寄れんかったらしいで!」と大笑いしていた。

私は「あほか。先生もそんな若くないわ。それに昔の事やろ。今度近いうちに一緒に飲もうや」と声をかけると彼は少年のような、あの時のような笑顔を浮かべていた。


私は3人に見えないようにそっと涙をふいた。







教育とは・・・・

「今すぐ結果を出す事もある」
「何年か後に結果を出すこともある」
「その相手が年老いて結果を出すこともある」

だからこそ、教育はしんどいけどおもしろいだ。
常々そう言い続けたきた私。

やっぱり綾ねえはすごかった。




綾ねえ、そしてみんな!
今分かりました!
先生が急いでいたんだと。
先生が大事なことを忘れていたんだと。



今はっきり言えます!

今村組に何年も在籍し、地方のリーダーと言われていながら問題を起こし続けているメンバー。
君たちの5年後、10年後を信じます。
いや君たちの人生を信じます。


急いでいたのは先生なんですよね。
まだまだ「青い先生」でした。


間違いながら、失敗しながら、それでも一緒に進んで行きましょう!

先生と一緒に今村組の仲間と共に。



2013年夏。
先生はまた少しだけ大人になりました!
共に!
何があっても我らは共に!



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知床からオホーツクを望む・・撮影おれ
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by e-than-kki | 2013-09-03 10:01 | 生き方
「生きる」とは
先日、ある病院の夏祭りに呼ばれて踊りに行った。

私はあまり詳しく分からないが、その病院はけっこう特別な病院らしく踊る私たちの前には良くて手動の車いす、ほとんどが電動車いす、電動ベットの方ばかり50人くらいの人がいた。

聞くと全員「筋ジストロフィー」の患者さんらしい。
筋ジストロフィーは現代の医学では根本的な治療法が見つかっておらず、次第に筋肉が萎縮していき、最後は自力呼吸も出来ない状態に陥る方も少なくないと聞く。

その日のみんなの中にも自力呼吸が困難で呼吸機をつけている人も多かった。
そしてまた多くの10代の若者がその中に存在していた。
またその若者の中のでも男の子は全て側頭部に「雷型」の「そり」が入っていた。
私は不思議に思い、看護師さんに聞くと看護師さんは笑顔で「今村組が来るからみんな今村組的にやってみました!」と笑顔で返してくれた。
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私はライブ中何度も涙が出そうになった。
そして最後の曲は「和詩を行ってください!」とある19歳の女の子がリクエストしてくれた。
聞くとNHKの東北の取り組みのテレビを見て、どうしても今村組に来てほしいと頼んだのは彼女らしい。

最後の和詩・・・
それまでこらえていた涙を止めることが出来なかった。


かわいそうだからではない。
哀れだからではない。
病気に負けず頑張っているんだ、と思ったからではない。
ただ、その病気と向き合い、それでいて笑顔で毎日、毎日を生き抜いている、いや私たち以上に『普通』に『純粋』に生きている彼らに感動した。
感動したという言葉も何か違うほど、何かを感じたのだった。


彼らもまた泣いていた。
看護師さんもボランティアさんも。


1時間弱のライブが終わった。
私はメンバーの控え室に行った。
彩朱佳も目を真っ赤にしていた。
他のメンバーも同じような目をして私を見つめていた、「先生、何か言って!」というような視線を私に投げかけながら。


私は「俺ら、もっと自分の人生を大事に生きような」と言うと彼らは力強くうなづいていた。



(最後にライブの後に19歳の女の子がくれたメールです。)


今日はありがとうございました。

今村先生に会うことができて
みんなの躍りを見ることが出来て
和詩が聴けてすごく感動しました。

今村先生のことは前からTVで見て知っていて
子ども達の心を察してくれる
親身になって聞いてくれる
数少ない大人の一人だと
すごく尊敬しています。

だからずっと会いたくて
話しがしたくて・・・

中野さん(メンバーの「たく」のママ。この病院の売店に勤務してる)と出会って
こうしてつながることが出来て
本当に嬉しいです。

また機会があったら
深い話しがしたいです(笑)

わたしも色々あるので(笑)


あ!それから
みんな病気には
負けてはいませんよ-!

それにがんばってるつもりもないし
ただ(あるがままに)生きてるだけなのです!

あとうちらの病気は
治ることもありません。

でもみ~んな
毎日楽しく生きてます(笑)

またぜったいぜったい
ぜ--たい!来てくださいね-!




また来ます!
必ず来ます!
今年12月にはクリスマス会があると聞きました。
私たちの年末ライブ12月23日の後、必ずここに帰ってきます。

何かを学びに、何かを教えてもらいに、必ずここに帰ってきます。

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by e-than-kki | 2013-07-12 07:33 | 生き方
札幌YOSAKOIソーラン祭り
いよいよ2013年の札幌YOSAKOIソーラン祭りまであと残すところわずかになってきた。

この間4月から毎週末メンバー100名あまりと練習を重ねてきて、すでに「沖縄の人か?」と思われるくらい真っ黒に日焼けしている。

札幌YOSAKOIソーラン祭り参加の8日(土)9日(日)に先だち毎年前日の夜に夕張市でチャリティーライブを行っている。

ご存じのように夕張は財政破綻した(いや、させられた)町。
20万人いた市民が今や2万人を割り込んで高齢者の人たちがその大部分を占めている。

7年前、夕張がマスコミに取り上げられた年、それこそ芸能人はこぞって夕張詣でをしたが、翌年にはもう忘れ去られていた。

私が兄のように慕う故川島英五氏が言っていた。
「日本はボランティアもチャリティーもブームにしよる。だからわしは最低10年は阪神大震災のチャリティーライブをやるんや!」と。


私も夕張の人たちに「最低10年は来るから!」と宣言して今年で6年目、6回目の夕張ライブを迎える。

マスコミに取り上げられるわけでもない、誰かに賞賛されるわけではない。
でも夕張の人は「今年も今村組が来てくれるのか。。。今村組と組長が来たら夕張にも夏がくるんですよ。」と言ってくれる。

同じような言葉を今年2月南三陸であるおじいさんにかけられた。
「先生、雪がとけると何になります?雪が解けると『春』になるんです。でも東北の本当の春はいつくるんでしょうねぇ。。。」



その言葉から生まれた今年の作品「春祷(うずき)」。

東北の本当の春を願い、夕張の夏への想いを背負い、私たち関西京都今村組は7日後、北の大地へと飛び立つ。


見とけよ札幌!
待っとけよ札幌!!
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by e-than-kki | 2013-05-30 17:58 | 生き方
そして今日又南三陸
昨日の夜から南三陸に入っている。

昨夜は南三陸今村組保護者会主催で近隣の人たちに私の子ども論講演をした。


どんな子どもも「普通の子」などいない。
全ての子に全て同様に悩みがあり、苦しみがあり、傷がある。
そんなものを笑顔で隠しながら生きているのがいわゆる「普通の子」なのである。
それを「普通の子」という一言で後回しするのが私は我慢ならない。
東北で被災した子はその上に更にもう一つの「笑顔」でそれを包み隠して生きている。
一つの笑顔の向こうにたどり着くのも容易なことではない中で、東北の子らは二つの笑顔の向こうにたどり着かなければならない。

そんな内容の話しをした。


今日、アスカはじめ6人のそれぞれの地方今村組代表の子らがやってくる。
そして今日は2カ所の慰問、明日は昨年大雪をついて駆けつけた南三陸復興商店街の1周年ライブ、〔1年前のブログ〕そしてその合間をついての慰問。

子ども達はいったい何をつかんで京都に帰るのか
今から私はわくわくしている。
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by e-than-kki | 2013-02-23 08:53 | 生き方
振り返って・・・・もう一度世に問うシリーズ
夜中に目覚めて自分の書いてきたブログを見直していた。
前に書いているが、今もう一度世に出したいブログがあるなあと思い、この企画を思い立った。

題名「もう一度世に問う」シリーズ第1弾

(2011年4月ブログより)

東北とは、学校とは。
あるメンバーがいます。
そのメンバーが特定できないように匿名でA子とする。

A子は大学生4回生。
長い間、今村組に在籍し、今村組の色々な活動を通して成長してきた。
中でも今村組が取り組んできた夕張支援や淡路15周年取り組みなどを通して大きく成長し、将来は教師になりたいと強く願ってきた子である。

今回の東北復興祈願全国縦断キャラバン敢行を決定したとき、いの一番で参加を表明した。

ただ、その日程が運悪く教育実習にあたっていた彼女は大学に教育実習の日程の変更を願い出た。
彼女の通っている大学は国立の教育大学である。

その返事は・・・・・
「東北と学業はどっちが大事なの?」
「教師になりたいなら教育実習を優先しなさい。」だった。


私はその話しを聞いて、彼女が通ってた地元小学校にお願いをすることをすすめた。


さっそく彼女は地元小学校に電話した。
その学校は彼女の出身と言うだけでなく昨年「学校ボランティア」として1年通った学校だった。

電話には当時もいた教頭が出た。


教頭の返事は他に教育実習を願い出ている子があるのでその子と同じ日程なら受けるという返事だった。
しかし、その日程もまた彼女がキャラバンとして東北から帰ってくる日からスタートと言うことだった。
彼女は「なんとかスタートの日の午後からでは無理ですか。」と涙ながらに頼んだ。
そして返ってきた答えは

「そんな勝手な言い分が通るか。教師になりたいんやったらどっちが優先か誰でも分かるやろ。一日でも遅れたら実習は受けられない。考え直せ。」だった。


私は24年間小学校の現場にいて指導部長として教育課程も統括していたことがある。
だから分かるが、教育実習は1日遅れようと、また実習中に病気で1日休もうと現場サイドでどうにでもなるシステムだ。

ましてやこの日からしか受けられないという言い分は、二人一緒にじゃまくさい教育実習をやっつけてしまおうという考えなのだ。


昔、私が現場にいた頃のある日、その当時講師(臨時の先生)だった若い女の先生に電話が入った事がある。
おばあちゃんが急死されたからすぐに帰ってきてほしいという家からの電話だった。

彼女はその電話を切るなり、職員室の教頭に事の次第を告げ、帰らせてもらおうとした。
その時の教頭の返事は・・・

「おばあちゃんが亡くなったんなら2、3日は休むやろ。その分の自習準備をしてから帰ってんか。」だった。

2、3日の自習準備は自習計画、その時に使う資料やプリント作成など少なくても5、6時間はかかる。それをしてから帰れ!ということだった。

彼女はその言葉を聞いて真っ青になって涙を流してふるえていた。

私は「教頭!!われそれでも人か!教師である前に人として、われ、おかしいんじゃあ!!かまへん、すぐ帰ったれ!あとは俺がやっといたる!」とその子を送り出した。

その後、その教頭は「その言い方はなんだ。物の言い方もわからんのか。」とつめよってきた。
私は「言葉以前の問題や。われは教師としてという以前に人として失格なんじゃあ。人として失格の奴に礼はいらんのじゃあ!」と言い返したことがある。
こんなエセ知識人はへどがでる。

彼女は私が退職するとき、涙を流しながら「私、あの日の事は絶対に忘れません。ぜったい今村先生のようになります。」と言っていた。



東北支援は勝手な言い分なのだろうか。

教師を目指す・・・・ということはそんなに大事なことなのか、いや教師をめざすからこそ、今の東北をその目で見る必要があるのではないだろうか。

文科省では「東北に関連するボランティアやその他の活動は学業より優先して取り組めるように各大学で配慮するように」という通知が流れている。


子どもが荒れている?あほ!!!
こんな学校と言えへん学校にいるから荒れるんじゃ!!

子どもが荒れてるんではなく学校が荒れてるんじゃ!!


教育、学校の荒廃、ここに極まれり。

だから闘う。
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by e-than-kki | 2013-02-21 09:29 | 生き方
2012年お世話になりました
12月は全く更新することが出来ず本当に申し訳ありませんでした。

2012年私にとっては本当に色々あった年です。

・南三陸今村組陸仙海の立ち上げ
・麻咲の事務所入所(マネージャーへ)
・長男翔吾の結婚
・そして10月アキレス腱断裂
・滋賀県4つ目の今村組「米原今村組」誕生(スタート13年1月)
・綾ねえの今村組引退(13年1月)
・事務所移転(13年1月)
などなど本当に色々な事がありました。

来年も今年以上に色々な事があると思いますが、あいもかわらずのご声援よろしくお願いします。


そこでこのブログで東北地方へ呼びかけ!私たち東北支援活動(支援という言葉は嫌いですが・・・)は3年目を迎えますます意味のある活動へと展開していこうと思っていますが、1月26日に全今村組の年間スケジュールを決定する会議があります。
その時には2013年1年間の全今村組の予定が決定されるわけですが、来年、東北で「ぜひ今村組に来てほしい!」というお申し出があればぜひとも1月26日までにお申し出頂きたいです。

昨年、一昨年と仙台陸奥YOSAKOI祭りに参加しましたが、やはり何かが違います。
感じる物が薄いというか・・・
今年はどんな小さな町でも、祭りでも、もっと私たちを必要としてくれる東北の町に出かけて行きたいと考えています。

特に時期は3月春休み。そして夏休みぜひともうちの町に来てくれ!というお声があったらメールください!


今村組!2013年も東北に行きます!!!

ご連絡お待ちしています!!

今村組事務所:info@imamuragumi.com
今村携帯:E-than.kansai@k.vodaofone.ne.jp


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by e-than-kki | 2012-12-31 10:15 | 生き方
みちのくYOSAKOI・・・弱者の中の勇者
やはり京都でもう一度見てもらったがアキレス腱完全断裂だった。

手術は10日。9日から入院。約1週間の入院だからこの際、他の悪いところも色々見てもらおうと思う。

もうすぐ伊丹空港に向かう。

仙台みちのくYOSAKOIにはなんとしても参加したい。

今村組を撮り続けてくれた札幌のしんさん。

白血病で死期をさとったとき、自分が最後にやりたいことを書き連ね一つずつ消していっていたらしい。

そして最後に消せなかった一つ。

「みちのくYOSAKOI祭りに行って今村組を撮る」

しんさんの遺影も一緒に仙台に行く。

そして審査同ブロックに東北活動で本当に支え続けてくれている山内さん夫婦(清一郎)がいる地元南三陸の海童いしゃりがいる。

彼らを倒し、ファイナルにあがることが恩返しだと心に決めている。


そんな仙台メンバーの中に奈良今村組に在籍するヒロキという高校1年生がいる。
彼はそんなに踊りもうまくなく、問題も何回も起こしている気弱な今村組の中では目立たない男である。
男というよりまだ少年のような子である。

先日彼のお母さんと一緒にある相談に事務所に訪れたとき、あることで教師にかなり反抗したことを聞いた。

詳しく聞いてみると、手につけているミサンガが校則違反らしい。
教師が厳しく取れ!と何度もせまったが彼は絶対にはずさなかったらしい。
最後は「立て!」と激しく詰め寄る教師の指示も無視し座り続けたらしい。
教師に怒られたらそれだけでびびりあがるような子が、である。
なぜなんだろうと私はその彼の手にはめてあるミサンガを見て「はっ」とした。

そのミサンガは今年6月、札幌遠征の時に南三陸陸仙海の子が、そして奈良今村組の子が、○○が、○○が、札幌の勝利を願って作ってくれたものだった。

私は「札幌のミサンガか・・・」と言うと彼は「うん・・」とはにかんだ笑顔を浮かべた。

規則は規則である。
しかし彼はその前に「人としての心」を守り続けたのである。

「おまえも今村組やな!」というと彼は目にうっすらと涙を浮かべて「はい!」と答えた。

弱者の中の勇者。

ヒロキの中に私は人としての今村組としての「誇り」を見た気がした。



そんなヒロキ含む関西京都今村組70名、
そして南三陸今村組20名。
計90名が守るべきものを賭け仙台みちのくYOSAKOIに挑む。


私も今から仙台に向かう!
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by e-than-kki | 2012-10-06 10:05 | 生き方
もう一つの東北・・・東紀州欣求浄土
今晩、今村組共の会チーム「東紀州踊走会」のある若い女性から電話がかかってきた。

先日24日に宮城県沖でおこった海難事故にその子のおじさんが乗っていたらしい。

宮城県沖の太平洋で24日未明、三重県のカツオ漁船「堀栄丸」が貨物船と衝突し沈没した事故で、海上保安庁の巡視船が27日、海面に油が浮き出ているのを見つけた。第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)によると、堀栄丸の油の可能性が高いという。付近を中心に巡視船が行方不明者13人の捜索に当たっている。
 2管本部によると、油が見つかったのは衝突現場から東北東約8キロの海域。水深約5400メートルで、海保の特殊救難隊も潜ることができないため、海中に船が沈んでいるか確認するのは難しいという。 


そのおじさんはまだ見つかっていないという。
彼女は泣きながら「なんで先生に電話したのか・・・何を聞いてほしいのか・・・何を話したいのか、わからないけど、先生に電話した・・・」と。
またこうも言っていた。
「先生、東北にいっているでしょ。おじさんも気仙沼から出て行ってるんです。地元でゆっくりしたらいいのに、『早く東北に戻ってあげないと』・・・と言って帰っていっての事故なんです・・・」

私は彼女に何も言ってやれなかった。
私が何かを言うとそれは全てうそになる、そう思った。

ただ最後にこう言ってあげた。

~大丈夫、心配ない、って言うと嘘になる。でもきっと奇跡はあるから!
紀州の男は「昔、鯨に挑んだ漢(おとこ)なんだから」~と。

奉華(まつりばな)東紀州欣求浄土

紀州箱根の荷坂越え
桜にけむるかみがわよ。
男仁木島、九鬼魂。
心の旅路石畳
負けてなるかと紀州人
昔、鯨に挑んだ漢(おとこ)



もう一つの東北。
きっと奇跡を祈る。
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by e-than-kki | 2012-09-27 22:22 | 生き方